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「永遠」考

7年前の夏のある日、吟遊詩人は言いました。


――あの日、永遠はないって言ったけれど、ほんとうはあるんだよ。いつかきみも、そのことに気がつくといいな。


『永遠』という言葉を聞くとき、かならず思い返す言葉がある。
これまた古い話になるのだけれど、Viciousという雑誌のインタビューでキリトが話していたPierrotの4thシングル『ラストレター』にまつわる話。

少し長くなりますが抜粋します(出典:『Vicious』1999.8(音楽専科社) p.25)。


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「『きっとまた逢えるから…』っていう“約束”の部分っていうのは、単純にまた物理的に対面できるとか、霊魂的に生まれ変わって“また逢える”とか、そういうこととはちょっと違うんですよ」

――え゙ぇーっ!? そうなんですかぁ?

「あそこに隠されてる感情のキーとしては、彼女からきた手紙――最後の手紙ではなく、検閲を通って、主人公が死に対する恐怖だったりに、ある意味ふんぎりをつけられるきっかけになった手紙。その内容は書いてないんですけど、それがキーになってるというか。それの内容によって、そこまでの踏ん切りがついたっていうか。あの内容が何だったのか、ということなんですよ」

――はい…。肉体的にでも、霊魂的にでもなく、“また逢える”という気持ちにさせた内容ですよね?

「うん。また余計わかんなくなるかもしれないですけど――」

――はい(笑)。

「なぜ辛いのか…。逆に…、も〜ううまく言葉でどういったらいいのかなぁ?(笑) 生きてるから辛いんですよ。彼女にとっても自分にとっても。彼女の中で今生きている主人公の存在ていうのに、やっと2年の月日を経て、精神的に別れる覚悟ができた、と。それは、辛い思いをしてた主人公の精神状態に、さらに追い打ちをかけてトドメを指すような、そっち側の内容なんですよ。励ましの内容だったりじゃなくて」

――えっ!? もしかしてその手紙には、“あなたよりも自分が先に死ぬ”とか書いてあったんですか?

「いや、死なない。彼女は生き続けますよ。う〜ん…。もっと前にさかのぼって、ふたりが一緒にいた最後の時に見せた笑顔でふんぎりがついたっていうか…、決意していたというか…。そこで死んでからなぜ“また逢える”という確信を持てるのかっていう」

――そう、そこなんですよね!

「ここまで言っちゃっていいのかなぁ?(苦笑) だから彼女の精神の中での彼の存在っていうのが、中途半端に生身で生きてて遠くにいるよりも、死ぬことでもっと近い存在になるってこと。それは死んだっていう知らせを聞いてからより確たるものになれるっていう意味での『また逢える…』っていう…」

――じゃあ『また逢える…』っていう言葉は、主人公と彼女が直接“また逢える”っていうことではない?

「そうですね、厳密に言えば、“彼女がまた僕に逢える”ってことかな」

――なんか余計頭の中が混乱して…(笑)。

「わかんなくなるでしょ?(笑) だから生きてる生身の体を持ってて、逢えない場所にいるってことのほうが辛いんですよ。その存在が消えることで――」

――あっ!! その存在が消えることで、より近い存在になる、と!!

「そう、自分の中にいる彼の存在っていうのがより確たるものになるっていう。一見何を言い出すのかっていうような言葉が、彼女からの手紙には書かれていたということ。彼の中にも、鎮座して動こうとしない彼女の存在に対しての感情の持って行き場がなかった、と。だけど彼は、それはそのままにしておいて、自分は修羅になるしかないんだっていうことで動いてた。だけどずっとその存在っていうのが重いし、辛いし、消せないしっていう状態が続いてた、と」

――なるほど!! あの小説を読んだ多くの人が、自分が死ぬことでもしかして戦争が終わるんじゃないかっていうわずかな希望にかけて、彼女を守るために死にに行ったのかなと思ったと思うんですけど…。

「もっと個人レベルですね。全体主義で動かないといけない背景の中でこそ、個人レベルでのやりとりっていうのがあるんですよ。あの文章を読んでもらって捉えたままでO.K.なんですけど、作った僕として提示する別の解釈としては、彼女の元に、より近くに帰って行ったっていう。“帰って行った”というよりも、進んでいったっていう感じ」

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ここでいう「小説」とは、4thシングル『ラストレター』に付属していたキリト著の短編小説のことです。

特攻隊員の「僕」が、「君」に宛てた手紙を懐に入れたまま出撃するその日の朝の光景。歌詞ではそこまでの背景は読みとりにくいのですが、小説を読んでから曲を聴くと、そういう物語が背景にあるとしか思えなくなる。

「きっとまた逢えるから」

という言葉が、歌詞でも小説でもキーになっています。

「永遠」について考えるとき、かならずといっていいほどこのインタビューを読み返したくなってしまう。それは、「永遠」が死(もしくは無)のあとにしか存在しない、ということを心に刻むためなのかもしれない。

5/17のamber gris仙台公演のとき、手鞠さんが「忘却」について話していて。詳細はライブレポに譲るとして、そのときに、「姿は見えなくなっても、amber grisの音楽はあなたのそばにいます」というようなことをおっしゃっておられて。「いつでも心に寄り添っている」というような表現もされていて。

それこそ、キリトの言っていた「彼女の元に、より近くに帰って行ったっていう。“帰って行った”というよりも、進んでいったっていう感じ」、「自分の中にいる彼の存在っていうのがより確たるものになる」ということではないか、と。

「彼」の姿がなくなるということは、「彼」の気持ちが変化することがないということ。変化しないからこそ、「彼女」は安心して自分の中の「彼」を想っていられる。もし変化があるとすれば、「彼女」の、「彼」への気持ちのほうで。

ああ、これってまさに、「君の中で生きる僕は その姿を変えてゆくのだろう それは僕の思惑とは違う形に …でも仕方の無い事だって受け入れなくちゃ」と“alone≠”で手鞠さんが歌っていることだ。


冒頭の吟遊詩人の言葉は、Ruvieの解散ライブのときの手鞠さんの言葉です。
あの日から約7年が過ぎて、わたしはようやく解散ライブのDVDを再生することができました。なつかしさと、記憶の断片が映像と合致したこと、そして、手負いの獣みたいな眼差しの手鞠さんを見て、自然と涙があふれてきて。

今のamber grisの手鞠さんはずいぶん穏やかな表情を浮かべるようになっていて、この7年の歳月が、とても良きものだったんだな、と思わせてくれる。
自戒のための自壊を選んだ7年前とは違い、amber grisを完成させるために死――解散――を選ぶ。ちゃんと、お別れの準備をしてその日を迎える。

人間で例えると、きっと「大往生」にあたると思うんです。その人生を全うして、満足して終わりを迎える。そのための、解散。

だから、悲しいんじゃなくて、寂しい。

これまでの楽曲、共有した時間、ライブの光景・情景と言葉。それらがこれからも糧になっていくのだと思う。だけど、これから新しいなにかをもらうことがなくなることが寂しい。


解散が発表されてから、ずっと書きたくてたまらなかったこと。このタイミングで書き残せてよかった。

5/27、この日の誕生花は白詰草。
白詰草の冠を脱ぎ捨てた彼らが、たどりつくのはきっと安寧の地。

それを、見届けに、そして見送りに行ってきます。

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