想いを綴るということ
(※昨日更新していたはずなのに本文反映されていなくて愕然としたあとでの書き直しです)
不思議なもので、最近、ツイッターでお知り合いになったと思っていた方から、じつはブログを見ていました、と伺う機会が結構ありまして、ネットの世界って意外と狭いなぁ、と感じている次第です。
まったく更新していないあいだも拍手等いただいていたりして、この場を借りて、みなさま、ありがとうございます、と御礼申し上げます。
やっぱりね、こんな仮想世界の片隅なのに、だれかが見ていてくださっているということはうれしいものです。
そのこともあってか、文章が書きたくてたまらなくなりました。つぶやきだけではなくて、長文書きたい。創作もしたい。
たぶんそれは、解散へ向かうアドミニをリアルタイムで観ていることと先日のレドリック主催を観て感じたことが大きいのかもしれないな、と思います。
「いま」感じていることをきちんと書き残しておきたいと、そう思うのです。
けれど、言葉として残すことと五感で感じたこと、どちらの記憶が鮮明なのだろう。
読み返したときに、そうだったそうだった、と思うのと、ふいにふれた感覚で記憶が呼び覚まされるのと、どちらが鮮やかなのだろう。
感覚が覚えている記憶、で真っ先に思い出すのは、汗ばむ陽気に、むせかえるほどの百合の匂い、それらにあてられたようにぼうっとしてしまって、そこが本当に現実なのかわからなくなったあの日のこと。
場内はひんやりとしていて、別世界のようだった、2008年7月14日、世界の終わりの一幕。
結局のところ、そのとき感じた感覚・感情を残す手段が書くこと、言葉なのかな。
どちらが優先ではなく、相互で支えあっている感じ。
…うん、なにが書きたいのかわからなくなってきた(今回のは盛大な独り言だと思ってください)。
でもきっと、残しておきたいことがたくさん芽生えてきた、ってことなんだと思う。
つぶやきだけじゃたりない。
きっとたぶん、そういうこと。
不思議なもので、最近、ツイッターでお知り合いになったと思っていた方から、じつはブログを見ていました、と伺う機会が結構ありまして、ネットの世界って意外と狭いなぁ、と感じている次第です。
まったく更新していないあいだも拍手等いただいていたりして、この場を借りて、みなさま、ありがとうございます、と御礼申し上げます。
やっぱりね、こんな仮想世界の片隅なのに、だれかが見ていてくださっているということはうれしいものです。
そのこともあってか、文章が書きたくてたまらなくなりました。つぶやきだけではなくて、長文書きたい。創作もしたい。
たぶんそれは、解散へ向かうアドミニをリアルタイムで観ていることと先日のレドリック主催を観て感じたことが大きいのかもしれないな、と思います。
「いま」感じていることをきちんと書き残しておきたいと、そう思うのです。
けれど、言葉として残すことと五感で感じたこと、どちらの記憶が鮮明なのだろう。
読み返したときに、そうだったそうだった、と思うのと、ふいにふれた感覚で記憶が呼び覚まされるのと、どちらが鮮やかなのだろう。
感覚が覚えている記憶、で真っ先に思い出すのは、汗ばむ陽気に、むせかえるほどの百合の匂い、それらにあてられたようにぼうっとしてしまって、そこが本当に現実なのかわからなくなったあの日のこと。
場内はひんやりとしていて、別世界のようだった、2008年7月14日、世界の終わりの一幕。
結局のところ、そのとき感じた感覚・感情を残す手段が書くこと、言葉なのかな。
どちらが優先ではなく、相互で支えあっている感じ。
…うん、なにが書きたいのかわからなくなってきた(今回のは盛大な独り言だと思ってください)。
でもきっと、残しておきたいことがたくさん芽生えてきた、ってことなんだと思う。
つぶやきだけじゃたりない。
きっとたぶん、そういうこと。
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